心のアーカイブ 伊波伴准

鍼灸治療

40歳に近づく、というと様々思うところがあります。
まだ30代と言い張るか、アラフォーという言われ方を受け入れるか・・・

ここしばらく腰痛が激しくなってきて座るのも立つのも億劫になってきました。
この痛みはなんだろう?

すぐに治るかと思い、風呂に長く入ったり、マッサージをしたり
低周波治療器を使ってみたり、いろいろ試しましたが改善しません。
そこで初めてマッサージと鍼灸治療を受けることにしました。

担当の先生に症状を話したところ、真っ直ぐ座るようにいわれ、
その後、背骨の下のあたりを、少しずつ、ぐりぐり押していきます。

「ここが痛い?」
触りながら、痛みの場所を確認したところ、
「座る時間が長い仕事ですか?」
・・・ほぼ正解です。

先生の見立てでは、ずっと同じ姿勢が続くので、骨の隙間の神経が圧迫され
そこに疲労物質?がたまってきて痛みになってきた、とのことです。

これに基づき、痛みの元がある場所と思われる所を、少しずつもみほぐしていきます。

力は入らないものの、じっくりと時間をかけて治療していきます。
しばらくすると、シャツのすそをめくって、腰のあたりをさすり始めました。
気付いたら、箱を取り出し、あっというまに、針がうたれました。

ちくっとしたかと思うと、あとは針が刺さっているのかもわからないくらい。

しばらくすると、腰のあたりが温かくなるような感覚です。
針をすっと抜いたあと、すぐにお灸を据えられました。

さらっと書きましたが、針も、お灸も、人生初。
黙って見ていましたが、ものすごく緊張するし、ドキドキします。

ただ、想像以上に痛くなく、さらに温かくじんわりと痛みが引いたような感覚でした。

1時間ほどで治療が終了。
「きょうはだるく感じると思うので、あまり体を動かさないようにね」
と優しく言われました。
治療当日は、やや楽になったかな?という感覚でしたが、
翌日、3日目となっていくに従って、嘘のように腰の痛みはなくなりました。

しばらく腰はだるいような感覚でしたが、当初の痛みはありません。

治療、奥深し。
歳を重ねるというのは、こういう経験を重ねることなのかもしれません。

2010 年 11 月 17 日 18 時 31 分 16 秒

奥州市の先人たちを学ぶ

IAT学びの旅倶楽部の奥州市編に同行し、
先人の記念館を回るなどして、様々な勉強をしてきました。

まず、後藤新平です。
後藤新平は、たとえば日本国内の鉄道幹線は、1067mmだったのを1435mmにすべきと早くから提唱した人です。
高速鉄道には欠かせないこの広さは、国際標準になりつつある、と
戦前にすでに言っていた人なのです。
実現したのは東海道新幹線が開通する1964年。その後、新幹線は1435mmで建設されました。

さらに、電話の料金を「度数制に」と提案した人でもあります。
度数…いまでは聞かなくなりつつありますが、
テレホンカードが登場したときも「50度数」「100度数」という単位が書かれて
販売されていました。
これも元をたどれば後藤新平です。

さらに放送に関わる人間として知るべきこととして、東京放送局(現NHK)の初代総裁だったということです。
1925年年3月22日に初めてのラジオ放送が始まったときの責任者が後藤新平だったのです。
後藤新平記念館には、その展示もあります。
説明書きには「東京市芝区新芝町(現在の港区)の東京高等工業学校の図書館室から、
出力220wで送り出された。高さ8mの受信アンテナを使った場合、鉱石式受信機で約30km、真空管を使った受信機で約40km・・・」

さらに3月22日、今でも放送記念日となったその日に、開局の挨拶として
後藤新平は15分の演説をしているとのことです。放送の大先輩と言えます。
知らないことがたくさんあるな、と勉強不足を恥じるのみです。

一方で、第30代の内閣総理大臣の斎藤實(さいとうまこと)。
斎藤實記念館の入口の石碑には「処世観の一部」という文があります。
総理就任時に書いたというその文章には、
人の輪を大切にする人柄を感じる文言が記されています。

一 忍耐は人の宝なり
一 人に接するには 調和を旨とし 謙譲なる態度を忘るべからず
一 優越観念は 深く自己の胸底に収め 他に対しては平凡中庸を以てし
自然に他をして敬服せしむるを要す

まず耐えることを掲げたあたりが、
一国の主となっても自分を厳しく律する忍耐強さを伝えてくれます。

さらに同じ地域の先人の高野長英は、蘭学者・医者として活躍しました。
後藤新平も医師として活躍したことを考えると
人のために医師の道を進んでいるという共通点が、なんだか不思議だなと感じます。

同じ奥州市に生まれた先人たちについて、
地元・岩手に住む県民も知っているようで知らないことも、まだたくさんあると感じます。
記念館をゆっくり見るだけでも、なるほど、と感じることは
たくさん転がっているなあと思いました。

2010 年 11 月 16 日 19 時 35 分 05 秒

サケが遡上する盛岡

9月下旬から、盛岡市内の川(中津川・雫石川・北上川)にはサケが遡上してきます。
といっても、毎日忙しく過ごしていると
なかなか、サケが盛岡までやってきた姿を見ることも少ないのですが
橋を歩いて渡るときには必ず川底をのぞき込んでみることにしています。

10月末になると、北上川でも時折見つけることができるようになりました。
海で取れるサケと違い、遡上してくる間に体が傷つき、
所々が白くなっているので、すぐに遡上してきたサケだと分かります。

11月8日撮影

改めて、水や空気が奇麗という岩手の環境の素晴らしさを実感します。

そして、川で取れたサケはあまり出回らないのですが
(海のサケに比べると味が淡泊なので積極的には販売されていません)
先日、この盛岡周辺の川で取れたサケを食べる機会もありました。
サケの身そのものが淡泊なため、みそにじっくり漬けています。
みそが染みてジューシーなサケ。これも秋ならではだ・・・
いや、11月7日が立冬だったので「かなり遅く感じる晩秋」です。

きょうは11月11日で鮭の日。
川でサケの遡上がだんだんと見られなくなり、鮭の日の時期になると
本格的な冬はもうすぐそこまで来ています。

2010 年 11 月 11 日 17 時 34 分 08 秒

歯を磨こう、で読み聞かせ

IATアナウンサーによる読み聞かせ、継続中です。
きょうは中尾アナウンサーと共に、
盛岡市大通のコミュニティースペースにこにこへ出向き、
「にこにこDay」に参加しました。

今回は良い歯の日の11月8日に近い、ということで
岩手医大から歯の専門の先生を招いての歯磨き指導もありました。

今回読み聞かせをしたのは、
中尾アナウンサーが「ねずみくんのチョッキ」(作:なかえよしを 絵:上野紀子・ポプラ社)、
私は歯磨き指導の前ということだったので
「わにさんどきっ はいしゃさんどきっ」(作・絵:五味太郎・偕成社)を選びました。
中尾アナウンサーの読み聞かせには大型絵本を使ったので、子どもたちはくぎづけ。
この絵本は、絵自体はシンプルですが、
登場する動物がだんだんと大きくなってきて、
さらに次に出てくる動物がちらっと姿をみせる仕掛けもある絵本なのです。

「わにさん~」は、立場が違う登場人物が同じ言葉を発して物語が進んで行きます。
へえ、と大人でも面白く感じる絵本です。

最後は「はみがき、はみがき」で終わり、
じゃあ、参加したみんなも歯を磨く勉強をしましょう、と締めくくりました。

その後は正しい歯磨き指導に、会場がとてもにぎやかになりました。
にぎやか、とは、正しい歯磨きを教えるために歯ブラシを口に差し込まれ
子どもたちが最大級の抵抗をしている様態を指します。


しかし、これは大きくなるために大切なことなんだよね…
指導する先生と、参加したお母さんたちの苦労を垣間見る貴重な時間でした。

2010 年 11 月 10 日 18 時 16 分 39 秒

啄木のふるさとで出前カラオケ

IAT出前カラオケin渋民大会、司会のため盛岡市渋民文化会館にお邪魔しました。

いつも通り、真剣に歌を歌い上げようという皆さんの熱意に触れ、
さらに楽しく舞台を盛り上げて頂く皆さんのパワフルさに圧倒されました。

および、
今回のゲストとして山形出身・よさこい歌手とも呼ばれている奥山えいじさんが来盛。
楽しく素敵な歌を聴かせて頂きました。

1994年にデビューした奥山えいじさん。
打ち合わせの時にも、丁寧で気さくな雰囲気でお話をさせて頂きました。
「ふるさと華御輿」でデビュー。


代表作「お酒がしみる」のほか、東北楽天イーグルスの応援歌にも参加。
スポーツ新聞紙上で「私の芸名は何でしょう」という不思議なキャンペーンをして
実家のお米を俵でプレゼントしたということもあるそうです。

ステージでは11月24日の新曲「北の哀歌(エレジー)」も歌って頂いたほか、
「雨ニモマケズ」(宇佐元恭一)も歌って頂きました。
どの歌も、心にじわりと染みこんでいくような素晴らしい歌声でした。
今後要チェックだな、と感じました。

素晴らしい歌のあと、渋民大会の結果が発表され、
今回は細田節子さん(盛岡市)が優勝となりました。
この模様は11月10日の「カラオケdeないト!」でも放送されます。
ぜひご覧下さい。
また、12月12日はグランドチャンピオン大会もありますので
お時間あるかたは、矢巾町・田園ホールでぜひ素晴らしいステージをご覧下さい。

2010 年 11 月 8 日 20 時 19 分 54 秒