心のアーカイブ 伊波伴准

暑さのまとめ

去年に負けないくらい、今年の夏も本当に暑かったと感じます。さんさ踊りの期間はあんなに涼しくて、もう秋?と思ったのに、すぐに例年通りの暑さになりました。

そして、残暑も気合いの入った感じでいつまでも暑さ対策を強いられた感じがします。

そんな中、今年初めて、自宅でグリーンカーテンに挑戦しました。窓際に葉っぱがあるときっと涼しいに違いない!

というわけで、ゴーヤーを植えてみたところ、想像以上に葉がつき、つるがのび、あっという間に窓を覆うグリーンカーテンが出来上がりました。

さらに、これも予想外に、ゴーヤーが立派に育ったのです。ふるさと沖縄で見るのと変わらないような大きさに色!それもこれも、今年の夏が暑かったという証拠です。

ここしばらく涼しくなり、だんだんと実が大きくならなくなりました。このため最高気温が30度に近づくと「またゴーヤーが育つかも」と、暑さのうっとうしさと裏腹に、うれしさも感じます。

徐々に台風が近づいてきますが、これまでと違って「ゴーヤーに影響があったら…」という余計な心配も付いてきます。いろいろな意味で、今年の暑さは私にとって様々な出来事の出発点でした。

2011 年 8 月 31 日 20 時 13 分 35 秒

被災地に行く、ということ

8月22日に大船渡市に読み聞かせに出かけ、改めていろいろと考えました。

大船渡市三陸町越喜来。
以前、IAT学びの旅倶楽部でお邪魔した地域で、先日取材にもお邪魔しました。

ただ、取材や打ち合わせでお邪魔すると意外とゆっくり地域を見る時間がありません。

大船渡から釜石に移動する途中に、少しだけ時間を作り越喜来へ向かいました。
改めて、復旧なんてまだまだなのだと感じます。

三陸町は2001年11月に、大船渡市に編入される形で合併しました。
当時、その三陸町の「閉町式」の取材で三陸町へ行きました。
その時の閉町式会場の、三陸公民館は窓ガラスがなくなった状態で
建物の壁だけが残っているような無惨な姿です。

 

海岸沿いに行きました。
コンクリートで護岸工事されているはずの海岸線は
壁が十数メートル単位で壊れたりずれたりしていて、
一部、大きな砂利石で海水の侵入を防ぐように仮の堤防のようなものが出来ています。

日中ですが、誰一人歩いていません。
時折、復旧作業をしているのか、車が何台か通りかかるくらいです。
美しい風景が広がっているはずの海岸は、震災の爪痕を残したまま時間が止まっているかのようです。

それでも私が思うのは、多くの人に沿岸エリアに行ってもらいたいということです。
もちろん、そこで暮らしている人たちの生活について考えながら。
遊びに行くということではなく、地震・津波について考え、記憶に刻むということです。
特に、他の地域の子どもたちに見て欲しいのです。
この被害から立ち直るには、一人ひとりの心の中に何が必要か。
感受性が豊かな子どもたちは、いろいろな未来を描いてくれるはずです。

そしてもう一つ。地元で少しでも消費すること。
ご飯を食べてもいいし、お土産を買ってもいいのです。
特に個人的には、道の駅さんりくに寄った時には「黒ばらのり」を購入します。
みそ汁やすまし汁に入れると、海苔の香りが広がり、味も抜群です。
今回も買いました。
これ以外にも、のしイカなどの海産物や野菜、陸前高田のサイダーもあります。

また、以前通った住田町の道の駅種山ヶ原では
地元で生産された「鶏ハラミ」を購入し、家で食べると美味でした。

購入が、地元経済の活性化の一助となります。
おいしく復興を支えるということは、誰にでもできること。
もしも余力があれば首都圏の皆さんに福島・宮城・岩手に来て欲しいなと感じます。

2011 年 8 月 26 日 12 時 45 分 40 秒

こんなところでサルと遭遇

大船渡と釜石方面を回り、盛岡へ向かう帰り道のことです。

通常は、釜石市内から盛岡を目指すと新しく出来た仙人峠道路を通るのですが、
いろいろあって、旧道から帰ることになりました。
旧道は急傾斜の道路が山の斜面に沿ってくねくねと通っていて
眺めは良いものの、スピードも出せませんし、運転も若干神経を使う道路です。

私と、もう一人のIAT社員とで、旧道に入った時です。
まだ急傾斜の道路にさしかからないあたりで、道路上にグレイのような茶色のような固まりが見えました。
その固まりはよく見ると、動いています。
車を路側帯に寄せて止め、よく見ると、それはサルでした。

おそらく、付近に生息しているニホンザルでしょう。
サルは3匹いました。
道路上で遊んでいるように見える小さなサル、そしてすこし体の大きいサルの3匹。
すばしこい動きで、道路標識に登ったり、道路から森に一旦戻って木に登り
そこから急に道路に戻ってきたり。
せわしく動いています。

そこに、山の上のほうから車がびゅーんと走ってくると
驚いて木に登って、道路の様子をうかがっています。

おそらく、新しく仙人峠道路が出来たために、この旧道は車の通行量が減り、
サルたちにとっていい遊び場になったのでしょう。
時々走る車に驚きながらも、道路で遊ぶのはきっとたのしいのでしょう。

盛岡から沿岸や山間部に取材などで車移動をしていると
道路の脇にいるカモシカやキジとは何度も遭遇したことはありますが、
サルは初めてです。

2011 年 8 月 23 日 12 時 27 分 20 秒

がんばろう岩手 子どもたちの笑顔~大船渡(猪川・立根)

Go!Go!子育て応援宣言!!での絵本読み聞かせ活動で大船渡を訪れました。
真夏…と思ったら立秋を過ぎて涼しくなってきました。

大船渡市猪川町にある猪川保育園は、少し小高い丘にあって
160人の子どもたちが集う大きな保育園。
海岸線からは遠かったものの、通っている園児たちにとって
あの震災は大変な経験だったことに、変わりありません。
3月の卒業式で使う卒業証書も頼んでいた所が被害に遭い、すっかり流されたそうです。

通ってくる子どもたちも、大きな影響のあった地域からの転入もあれば、
仮設住宅が近いという理由での転入、
さらに市内中心部ではぜんそくがひどくなるから(埃が多いため)
と、転入してきた園児もいるそうです。
確かに園舎の周りは緑に囲まれ、高台の落ち着いた場所にあります。

今回持っていった絵本は、
きゃべつくん(長新太/文・絵)
うんこ!(サトシン/文、西村敏雄/絵)
まどからおくりもの(五味太郎/作・絵)
ねずみくんのチョッキ(なかえよしを/作、上野紀子/絵)
よくばりすぎたねこ(さとう わきこ/作・絵)
だるまさんの(かがくいひろし/作)
の6冊。

4歳児5歳児の子どもたちおよそ70人がおゆうぎ室に集まり
大型絵本専用の台を使って読み聞かせ。
特に「きゃべつくん」は、私の想像以上にみんなが大笑いです。
キャベツが次々と出てくる物語は、子どもたちは大好きのようです。

いつも4冊程度を読むのですが、今回は子どもたちが
「もう終わるの?」
「みーじーかーいー!」
「もっと絵本、ある~!」
と、これまでにないお願いの大合唱。

つい、5冊を読み聞かせ。
子どもたちも徐々に落ち着きを取り戻し、絵本を楽しめるようになっているようで
とてもうれしく感じます。

続いて向かったのは、同じ大船渡市内でさらに山手に入ったところにある立根保育園。

立根保育園も、他の地域からの転入や、近くの仮設住宅からの子どもたちなど
102人の園児が通っています。

震災後に比べれば子どもたちはかなり落ち着いてきたそうですが、
ここしばらく続く震度3から4程度の余震がくると、表情は一変するそうです。
保育士たちが「守ってあげるから大丈夫」と落ち着かせるよういしているそうですが
特に5歳児のクラスの子どもたちは敏感に反応するそうです。
子どもたちのこころの中では、震災がまだ完全に消え去っていないのです。

立根保育園の子どもたちが目を輝かせながら、集中して絵本の物語に入っていくのがわかりました。
そしてなぜかここでも
「短い!」
「絵本がもっとある!」
「もっと~もっと~」
の大合唱となり、
結局持っていった6冊全てを読むことになりました。

終わった後に、保育士の皆さんに聞くと、
いつも以上に絵本に集中していたのが驚きだった、と話し、
さらに「そもそも男性の絵本の読み聞かせは新鮮だったと思います」とのこと。
そういえば、男性の読み聞かせって新鮮なのか…と実感。
絵本をもってあちこちにお邪魔している私にとって絵本はだんだんと日常になっています。

子どもたちの笑顔を見ることができて、子は宝、と改めて思いました。
この子どもたちの為にもいま復旧・復興のためにこころを一つにしなければ!
そのパワーももらった気がします。

2011 年 8 月 22 日 19 時 57 分 33 秒

年々変わり続ける古里

実家のある沖縄本島を回ってみると、風景が劇的に変わっているところがあります。
国際通りの東側の入口、安里に行くと大きな商業ビルが出来上がっていました。
以前は、家具販売店やバスの営業所、生花店があったところに、
コンビニや飲食店などが入った大きな建物が建ち、モノレールの安里駅と接続しています。

実家に戻ってみると、1週間前に直撃した台風の影響で、庭の木々がいろいろ折れて
大変なことになっていました。
以前より木が成長しているから、風の影響を受けるのは仕方ありません。

また、いつも心配の祖父と祖母にも会ってきました。
どちらも今年誕生日がくると94歳。かなりの高齢です。
祖父は耳が完全に遠くなり、大声でゆっくり話さないといけません。
玄関のチャイムを鳴らしても気付かず、玄関でずっと待たされることも多くなりました。(カギをかけるという防犯意識は大変高いのです。)

数年前、私が良かれと思って設置した電波式の簡単なドアホンも電池切れで動かず、
今回全て電池を入れ替えることにしました。
そのドアホンは、ボタンが1個に対して、スピーカーが4つあります。
ボタンを押すと、家のあちこちからものすごい音量で一斉に電子音が鳴ったのですが、
祖父は「・・・?」とほんの少し反応したあと「今、なにか鳴ったかねえ?」。

その後祖父は、テレビのニュースで岩手を心配していた、という話を始め、
「あんたのところは大丈夫か?」と言ったあと、
「昔は戦争があった。もうあんな事は起きない、と思う」と始まりました。
高齢なので過去の強烈な思い出を話すことが多くなっています。
これまでも戦争の話は何度も聞いていますが、
今回は東日本大震災が加わり、被害の光景と戦争のことが重なったようで
今まで話さなかった戦争の話も新たにトークに加わっていました。
ちなみにその話のまとまりはおよそ10分。1時間話をすると、概ね4~5回、繰り返しになります。
さらに「あんたの今回の休みは何日ねえ?」は5回質問され、5回とも同じ返事をすることになりますが、
それでも、まだまだ愛すべきおじいは、意識はハッキリしていると感じます。

一方の祖母。
耳が遠くなっているのは祖父と同じなのですが、
持ち前の神経質なところや、こまやかなところは健在でした。
今は指先や足がむくむので、近くの老人保健施設に週何度かデイケアに通っているそうです。
そこで理学療法士のトレーニングが「あの係のひとと、毎回が勝負だ!」と
負けん気前回で足を動かしている話などを、しっかりとした口調で訴えていきます。

それでも以前に比べると、首の筋が痛いそうで上を向くことができなくなり、
歩くのも、つかまり立ちでないとあるけません。
それでも頭の回転が至って健康なため、動かない体にも関わらず細かいことをいろいろとやっています。

料理も可能な範囲で作っているようですし、「かぎ針での編み物ができなくなって、くやしいさ」と言ったかと思えば
しばらくすると布きれを集めて「このソファーは座り心地がよくない」と手作りの座布団を作っていました。

そして祖父はあきらめて読まなくなった新聞も、祖母は毎日細かく確認しているようで、
東日本大震災の心配はもちろん「かけはし交流の会長が亡くなったでしょう?」と、
高橋洋介氏逝去のニュースまで知ってました。

さらにデイケアに行くと「周りの人たちがねえ、挨拶してくれないのよ、不思議ねえ」と話しているので、どういうことだろうと思ったら、
同居している叔母によれば「90過ぎて、認知症がまったくない人のほうが珍しくて、周りはハッキリ話す人はほとんどいないから、ばあちゃんはとても元気なほうなのよ」と解説してくれました。

私のおじいとおばあは年齢以上に元気なのだと実感することができ、安心しました。

街中でいろいろ移動してみると、バスやトラックなどで想像以上に「まけるな東日本」「がんばろう日本」の文字がいろいろとありました。

今高校の先生をしている私の大学の後輩は、教え子たちが募金活動をしてくれたことを教えてくれましたし、
私の出身集落の子供会が、太鼓演奏をした時に募金活動をして岩手を始め福島・宮城のためにがんばってくれていたことも親戚から聞きました。
久しぶりに会う人たちみんなが「あなたの街は大丈夫なの?」と心配してくれます。
多くの人が東北の人々を心配してくれていて、本当にうれしく感じます。

実家の甥・姪が大きくなって、話す内容も以前と全く違います。
子ども番組の話だけではなく、大人びた内容のこと、
そして「津波って大変?」と心配してくれたので、一生懸命津波被害の話をしました。
持っている被災地の写真も使って、一生懸命話しました。
この話を聞いて、少しでも沖縄の子どもたちが変わってくれれば。

沖縄では旧盆のほうが重要で、今回は新暦のお盆と日程が重なりました。
久しぶりの旧盆は、いろいろなことを多く感じる期間です。

2011 年 8 月 13 日 20 時 31 分 14 秒