心のアーカイブ 伊波伴准

1996年から、2012年3月31日まで

きょう、岩手県内のアナログ放送が終了します。

1996年10月1日に開局したIATのアナログ放送の電波が
3月31日の24時には止まることになります。

私がIATに入りテレビの仕事を始めた1996年は、もちろんアナログ放送だけで
デジタル放送という単語は聞いたこともありませんでした。
当時は「ワイドクリアビジョン」に対応するかどうか、という話はありましたが、
時代はハイビジョン放送へと進んでいきました。

いま、自宅や会社で見るテレビは、奇麗な画面でデータ放送機能がある
便利なものになりました。
いろいろなことができる多機能のメディアになるのは想像できませんでした。

これから、テレビがもっと成長するためにもデジタル放送は大きな力です。
万一、まだアナログテレビしか持っていない、という方はすぐに対応をお願いしたいです。

正午、IAT社内のモニターをすべてアナログにして、
民放4局とNHKが全て青い画面になる瞬間を見ました。
私にとって、デジタルよりアナログの時代のほうが仕事としては長い期間関わっているので
様々な思いがありますが、
ひとまず、アナログ放送を長い間ご覧頂き、ありがとうございました。

2012 年 3 月 31 日 12 時 23 分 34 秒

再び「揺れた、その時」

もう、たくさん、という気持ちになりました。
午後8時ちょうど、社内での打ち合わせの最中でした。

普段耳にしないアラーム音が鳴り響きました。
打ち合わせ中の全員の動きが止まります。

「地震だっ!」誰かが叫びました。
近くにならぶテレビ画面を見ると、全てのチャンネルで「緊急地震速報」の表示が出ています。
ほぼ同時に、おびただしい数の携帯電話のアラーム音。
ここしばらく聞くことの無かった、携帯電話の緊急地震速報のアラーム音です。

大勢の人が、カメラを手にしたり、取材のために電話の受話器を取ったり、
さらに、報道センターからの緊急放送のために照明が付けられカメラがセットされ、
あっという間に蜂の巣をつついたような状態になりました。

この1年、何度も繰り返されてきた光景です。
しばらく落ち着いてきたかと思ったら、先日の津波注意報、そしてきょうの緊急地震速報です。

岩手県内では震度5弱でしたが、大きな被害はなく、
津波による被害もありませんでした。

「潮位の変化はあるかもしれませんが、被害の心配はありません」という発表でしたが、
それでも1年前のことを考えると、避難を考える人も多かったでしょうし、
特に沿岸部の人たちの不安は、はかりしれないと感じます。

落ち着いた日々を送れることが一番大切ですが、
万一に備える心構えも、途切れることなく重要なのだと考えさせられました。

2012 年 3 月 27 日 22 時 40 分 37 秒

ベトナムから、IATに

岩手朝日テレビに、ベトナムから若手ジャーナリスト15人がやってきました。
目的は、地域密着の報道と東日本大震災の報道について知るため、とのことです。

20代から30代の参加者は、「ベトナム学生新聞」「ベトナムテレビ」「ベトナムボイス」「ハノイテレビ」など、様々なメディアの記者・編集者たち。

今回の来日では、東京では新聞社を訪問したほか、
きょうはIAT、あすは大船渡市などを巡る予定とのことです。

震災後の1年を、IATの担当者から簡単に説明したあと、
津波の映像を見てもらいました。
その瞬間、全員が驚きや悲しみの表情を浮かべ、
とても衝撃を受けているようでした。

ベトナムでも水害など自然災害はいろいろとあり、
日本がどのような復興をしているのかは、大きくニュースでも取り上げられているそうです。

ベトナムのジャーナリストたちは、
どのような気持ちでの取材をしたのか、
感情をどのように抑えて取材をしたのか、など
同じ取材者としての心情を探る質問が出たほか、
津波に関する警報などはどのようなシステムで出ているのか、
などの質問も出ていました。

終了後も個別にいろいろな質問が出ました。
津波の映像はやはり衝撃的だった、と感想を話してくれた方もいましたし、
ベトナムでも津波の現状を多くのジャーナリストに伝えたい、など
力強い言葉もありました。
ベトナムの新聞社では、日本のために募金を実施しているところもあるそうです。
助け合う心に国境はないのだと、胸が熱くなります。

どの参加者も真剣な表情で、懸命にメモを取っている姿が印象的。
また、ベトナムテレビのスタッフはカメラでの取材もしていました。
岩手の現状をベトナムでもしっかり伝えてもらいたいな、と感じました。

2012 年 3 月 22 日 20 時 01 分 37 秒

揺れた、その時

IATスーパーJチャンネルの放送は午後6時15分から。
その直前、午後6時9分ごろ、報道センターに大きな緊張が走りました。

私のパソコンには個人向けの緊急地震速報が表示されるように
設定をしています。

その表示が、突然出てきました。

震源は、北海道の南のあたり。三陸の海岸線からはやや遠いかな、という場所。
すぐに電話がかかってきました。
「岩手は揺れていますか?」という系列局からの問い合わせです。
たまたま私が電話を取りましたが、揺れは感じません。
ずっと座っているスタッフが「ちょっと揺れてますね」と言っているので
「揺れてる、と言っている人もいますけど・・・」と言った瞬間でした。
報道センターの床が、ぐらぐらと回るように揺れ始めたのです。

さっきのパソコンの画面から考えると、
海岸線から離れた震源なのに、やや強い揺れ・・・これはまずいと思いました。

その直後、岩手県の沿岸には「津波注意報」。
注意報といっても、50cmの津波が来ると人命に関わる事態です。

その直後のIATスーパーJチャンネルは予定していた項目を全て変更し、
沿岸の今の映像を情報カメラで映し、
電話リポートなどで現状を伝えました。

予定しないものを急に放送するのは大変なことです。
しかし、津波被害の恐れが少しでもあるのなら、
それは絶対に防ぐ必要があります。

結果、大きな影響はほとんどありませんでしたが、
改めて、防災の気持ちを強く持つ一日でした。

2012 年 3 月 14 日 21 時 01 分 47 秒

思い、新た

午後2時46分、テレビ朝日系のみならず
多くの報道機関のカメラが、その一瞬を切り取りました。

1年前の同じ日、同じ時間帯、長い長い揺れがあり、その後大津波が押し寄せました。

IAT社内では、多くの映像が中継で入ってきて、
さらに全てのテレビ局が、それぞれの視点でその瞬間を伝えました。

3月11日は多くの場所で取材を実施し、その素材次々と集まってくる一日でした。
あわただしい中でも、2時46分は静寂に包まれました。
報道センターは、数分前に一人またひとりとその場の席で起立し、
中継で送られてくる画面に、自然と体を向け、その時刻を迎えました。

黙祷、という声に合わせて、全員が黙祷を始めました。

多くの事を考えました。
その瞬間の恐怖、その後の津波で奪われた命と日常。

伝えるために、忘れられないために、私たちの仕事は今ここにあると
感じる時でもありました。

その後、放送中の特別番組やローカルニュースに向け、
それぞれが忙しい時間を過ごすことになりました。

伝えるという営みを止めることはありません。
沿岸の人々に寄り添い、放送を続けることとはなにか。
むしろ、これから一層息の長い放送が求められていると自覚し、
放送に取り組む気持ちを新たにしました。

2012 年 3 月 11 日 19 時 25 分 42 秒