心のアーカイブ 伊波伴准

変化を続ける街

様々な用務があり東京へ行きました。

盛岡に比べると完全に春の陽気であちこちで桜が咲いています。

この時期だけの光景ですが桜の花に人があつまり心が穏やかになるのは

全国どこでも同じような気がします。

Dtokyo

一方であちこちを歩いていると目に付くようになったのが「海抜表示」です。

豪雨災害や津波被害も想定したものだと思いますが、

以前では気付かなかったのが、非常に増えたような印象です。

変わったというか、進んだというか、

こういう表示一つで東日本大震災のことを、東北のことを思い出してもらえれば

それが被災地のためにもなるのでは、とも感じます。

あの時感じた、みんなで助けて苦難を乗り越えようという気持ちだけは

変わらずに持っていてもらいたい、そう改めて感じます。

そして年度末。春休み。

東京駅や新幹線は楽しそうな親子連れのほかに

大きな荷物をもった、おそらく新生活に進むであろう人たちの姿も多くあります。

変化のある皆さんが少しでも明るく素晴らしい一歩を踏み出せることを願います。。

2014 年 3 月 29 日 10 時 19 分 21 秒

いつの間にか春

ここ一週間で一気に本格的な春を感じるようになりました。

雪がほとんど溶けて、コートも薄手の物でも大丈夫になってきました。

よく言われる「春のにおい」もするようになってきました。

桜の便りが西日本から聞こえるようになると、ようやく春を感じるようになり

喜びやうれしさを感じる季節です。

新年度を迎える雰囲気が徐々に出てきました。

盛岡駅のレール周辺ももう雪が残らず、岩手山の雪だけが白くまぶしく感じます。

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2014 年 3 月 25 日 20 時 12 分 04 秒

こんな便利な・・・続き

「こんな便利な・・・」続き

携帯電話を「スマホ」に変えてから
次々と新しいことに触れ、勉強になります。

冬場に困ったのは手袋をしていると画面操作ができなくなること。
それを解消する手袋が売られているのをみて購入したところ
ちっとも画面が動かなくて「この手袋は一体・・・」と
慌てて買った手袋についていろいろと考えさせられてしまいます。

一方、最近面白くて何度も見てしまうのが「通信速度を測る」という
すぐには生活の役に立つかどうか、よくわからないアプリケーションです。

はじめは、速度を測るということにあまり意義を感じなかったのですが
やり始めると、面白くなってきます。

携帯のデータを受信するスピード、情報を送信するスピードの
いわゆる「上り」と「下り」の回線の速度が十数秒で分かるのです。

歩いていても、ビルの間、橋の上、駅前などで条件が全く違うのです。
驚いたのは駅の地下。
電波が届きにくいと思っていた場所が、
ここしばらくで一番通信速度が速いという測定結果が出たのです。
つまり、データをダウンロードするときに一番早いのが盛岡駅の地下街。

特別なアンテナがきっとあるのだろう、という想像もつきます。

まだまだ、携帯の知らないことが沢山ありそうです。

2014 年 3 月 19 日 19 時 45 分 13 秒

え?これ?は?

IATの窓からは、盛岡駅が見えます。

先日のこと、窓を開けていたところ、フロアにいたスタッフが
急に「あ、あれ?あれは???」と慌て始めました。

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視線は盛岡駅方向。
私も振り返るとびっくり。

駅の方向から真っ黒な煙が上がっているのです。

 煙??

一瞬にして「火事ではないか!?」と思い、
慌てて窓を開けました。
同時に「カメラ!?」と叫んだところ・・・。

よくよく考えてみると、
来月から運行を始める「SL銀河」の試験運転が始まっているのです。

盛岡駅の在来線の線路付近を時々走っていることがありますが
煙を吹き出しているところを見たことがなかったために
みんなして慌ててしまったのです。

4月12日から、このSLが沢山の人の夢をのせて走るのが楽しみです。

okujo

2014 年 3 月 14 日 17 時 17 分 16 秒

悔しさつのる3年

朝から盛岡は雪まじりの空模様となりました。
本格的な春が近い、けさの盛岡の光景も、こと3月11日はもの悲しく感じます。

東日本大震災から3年。いろいろなことを思い出します。

朝の盛岡を歩いていると、ふとあの日の夜歩いていたことを思い出しました。

震災が起きた2014年3月11日の深夜、全員が交代で緊急放送対応をしていました。
そのさなか、着替えや食料を取りに、私はほんの1時間程度ですが一時帰宅しました。
深夜で、とても怖かったことを覚えています。
会社から自宅まで、歩いての移動。
住宅街も、盛岡駅も、電気が点いていなくて真っ暗。
総務の先輩社員から「持って行って!」と懐中電灯を渡され、
その明かりだけが頼りの帰宅でした。

普段はあんなに多くの人がいて、夜でもある程度の明るさがあるのに
真っ暗で、
誰一人歩いていなくて、
物音ひとつしない状態。
コンビニエンスストアも街頭も、車も通らないので真っ暗。

どうやったら、こんな街になってしまうんだろう、と感じながら
不安を押し殺しながら帰宅しました。

家に戻ると、揺れのために収納棚の引き出しが引っ張り出された状態になっていて、
いくつかの物が落ちていました。
今考えると、この程度で済んで良かった、という状況でした。
同じ頃、沢山の人々がもっとひどい状況と向き合っていたはずです。

あれから3年経って、街も、人の気持ちも、変わりつつあります。

震災を伝えられたのか、
自分自身は何ができたのか、
震災を忘れないでという沿岸の人たちの思いに応えられているのか?

震災を忘れてはならないという声は、時の流れとともにかき消され、
いまは全国のニュースでの扱いも小さくなりつつあります。

この3年間何ができたのか、を思い起こすだけで
何も出来ていない、という悔いがつのるばかりです。

今でも仮設に暮らさなければならない人たち、苦しんでいる人たちへ、
一体なにが出来たのだろうか、
悔しさばかりが、きょう、いまのこの気持ちで浮かび上がるばかりです。

風化は止めることができないと感じますが、
私たちは少なくとも震災のその後を「伝え続けること」が求められています。
岩手県総合防災室のまとめでは震災の直接死・関連死で5111人の方が亡くなり、
未だに1142人が行方不明のままです。
6253人の思いを伝え続けなければ。
悔しさはつのりますが、今を生きる人間の責務だと思うのです。

この後、IATでは岩手ローカルの特別番組を放送します。
また、午後はANN報道特別番組を放送します。
IATをはじめ、すべてのテレビ、報道機関が
きょうは様々な角度から震災を考えます。

多くの人たちに、岩手の、東北の思いが届きますように。

2014 年 3 月 11 日 09 時 58 分 26 秒