心のアーカイブ 伊波伴准

悔しさつのる3年

朝から盛岡は雪まじりの空模様となりました。
本格的な春が近い、けさの盛岡の光景も、こと3月11日はもの悲しく感じます。

東日本大震災から3年。いろいろなことを思い出します。

朝の盛岡を歩いていると、ふとあの日の夜歩いていたことを思い出しました。

震災が起きた2014年3月11日の深夜、全員が交代で緊急放送対応をしていました。
そのさなか、着替えや食料を取りに、私はほんの1時間程度ですが一時帰宅しました。
深夜で、とても怖かったことを覚えています。
会社から自宅まで、歩いての移動。
住宅街も、盛岡駅も、電気が点いていなくて真っ暗。
総務の先輩社員から「持って行って!」と懐中電灯を渡され、
その明かりだけが頼りの帰宅でした。

普段はあんなに多くの人がいて、夜でもある程度の明るさがあるのに
真っ暗で、
誰一人歩いていなくて、
物音ひとつしない状態。
コンビニエンスストアも街頭も、車も通らないので真っ暗。

どうやったら、こんな街になってしまうんだろう、と感じながら
不安を押し殺しながら帰宅しました。

家に戻ると、揺れのために収納棚の引き出しが引っ張り出された状態になっていて、
いくつかの物が落ちていました。
今考えると、この程度で済んで良かった、という状況でした。
同じ頃、沢山の人々がもっとひどい状況と向き合っていたはずです。

あれから3年経って、街も、人の気持ちも、変わりつつあります。

震災を伝えられたのか、
自分自身は何ができたのか、
震災を忘れないでという沿岸の人たちの思いに応えられているのか?

震災を忘れてはならないという声は、時の流れとともにかき消され、
いまは全国のニュースでの扱いも小さくなりつつあります。

この3年間何ができたのか、を思い起こすだけで
何も出来ていない、という悔いがつのるばかりです。

今でも仮設に暮らさなければならない人たち、苦しんでいる人たちへ、
一体なにが出来たのだろうか、
悔しさばかりが、きょう、いまのこの気持ちで浮かび上がるばかりです。

風化は止めることができないと感じますが、
私たちは少なくとも震災のその後を「伝え続けること」が求められています。
岩手県総合防災室のまとめでは震災の直接死・関連死で5111人の方が亡くなり、
未だに1142人が行方不明のままです。
6253人の思いを伝え続けなければ。
悔しさはつのりますが、今を生きる人間の責務だと思うのです。

この後、IATでは岩手ローカルの特別番組を放送します。
また、午後はANN報道特別番組を放送します。
IATをはじめ、すべてのテレビ、報道機関が
きょうは様々な角度から震災を考えます。

多くの人たちに、岩手の、東北の思いが届きますように。

2014 年 3 月 11 日 09 時 58 分 26 秒