るみこのフルアンテナ日常記
高村光太郎の軌跡を巡る(2)
こんにちは!
今日は、去年7月に投稿した「高村光太郎を巡る」第二弾をお送りします。
妻・智恵子の生涯や智恵子への思いを綴った「智恵子抄」に触れて、どうしても行きたくなり向かった場所✨️
![]()
智恵子のふるさとの福島県二本松市です。
去年9月の写真です。(だいぶ寝かせてしまいました・・)


二本松駅に光太郎の詩碑と智恵子の像があり
地域の方々が2人を大切に思う気持ちが伝わってきました。
像には「ほんとの空」とあります。
「智恵子抄」の中の「あどけない話」では智恵子が、東京での生活の中で、福島の安達太良山の上にある空を
「ほんとの空」だと恋しがった様子が描かれています。
この日もよく晴れていて、智恵子が愛した景色に心を寄せて時間を過ごしました。

駅から車で10分ほどのところにある智恵子の生家へ。
近くの通りは、「智恵子純愛通り」と名付けられています。
文献などで知ることしかできませんが、光太郎と智恵子の過ごした時間は 私にとってもまさに「純愛」です。
この通りにはなんだか清々しく、でも甘酸っぱい、そんな空気が流れているような気がしました。

智恵子の生家は造り酒屋だったので新酒の醸成を伝える杉玉が下がっています。
敷地内には生家のほかに記念館もあります。
ところがここで問題が・・
休館日だったのです。特に調べてもいませんでした。水曜日が休館ということで皆さんお気をつけください。
(先週、生家と記念館リベンジをしてきました!この時のことはまた今度書きたいと思います。)
道の駅「安達」には2人のパネルも。
よく見ると分かりますが、2人の顔の部分が丸くくり抜かれていて、外して自分の顔をはめることもできました。
私は3人並んで写真を撮りたかったので横に並んでみました。記念になりますよ!!
同じく去年9月には県内のゆかりの場所も新たに巡りました。
太平洋戦争末期の1945年から約7年間 花巻市太田に疎開し、農耕自炊の生活を送った高村光太郎。

花巻にある鳥谷崎神社は光太郎が終戦の玉音放送を聴いた場所で、その心境を詠んだ「一億の号泣」の詩碑が建立されています。
さらに、境内には宮沢賢治の詩碑もあります。

宮沢賢治と光太郎は一度直接会ったことがあるとされています。
また、賢治の死後、光太郎は草野心平らとともに「宮沢賢治全集」の編集や装丁を手がけていて
2人はつながりが深いということも高村光太郎記念館で話を聞くなどして知ることができました。
鳥谷崎神社は御朱印も素敵でおすすめです!
御朱印集めはこれまでしていなかったのですが、鳥谷崎神社で御朱印と御朱印帳を手に入れてからというもの、かなりハマっております。
最近では御朱印を郵送してくれる神社やお寺も増えているのですね。

とても長くなってしまいましたが
智恵子の育った環境を知ることで「智恵子抄」や
光太郎自身への理解をまた少し進めることができました。
私は光太郎が花巻の山荘で書いた「案内」という詩が
特に好きなんです。
最後の一行を読んだ時、これまで感じたことのない温かい気持ちになりました。
岩手で暮らしている間の7年間、寒さの厳しい環境でも、
1人ではなく智恵子と一緒に過ごしている気持ちだったから
豊かに生き、岩手の素晴らしさを心いっぱいで感じることができたのではないかなと感じます。
![]()
きょう最後の木漏れ日は光太郎とは関係ない
ゴルフ場で撮ったお気に入りの一枚です。
IATのホームページがリニューアルしました☺
ニュースや番組情報などぜひご覧いただけるとうれしいです♪
プロフィール