なかおにっき 中尾考作

見つけた

酔仙酒造のお酒。

今、なかなか盛岡では手に入りにくいそうです。

それが大船渡の酒屋には思ったより種類もたくさんあって・・・

普段ほとんど日本酒は飲まないので、おススメされたものを買いました。

(カメラマンは地元に持っていくらしい。3本も買って大事そうに持って帰りました)

震災の翌日。私は陸前高田市の中心部を目指していました。

広い国道340号はガレキで寸断され、車はもちろん、歩いては10メートルも進めません。

どうしたものかと立ち止まったとき、道を覆うガレキの中に鮮やかな桜色が見えました。

手に取ったのはお酒の紙容器でした。

春に控えた出荷を待っていたのか、お酒の入っていない新品の容器があちらにもこちらにも土砂とがれきの中から桜色をのぞかせていました。

以前、番組の司会をさせていただいていたとき、

酔仙の方にはわざわざスタジオへ来ていただいたこともあります。

その土に埋まった容器を見たとき、目の前の山が「ただのがれき」でないと気付かされました。そこにはそこで生活していた人たちの「思い」があったことに気付かされました。

後日、酔仙酒造の金野社長、社員のみなさんを取材させていただく機会をいただきました。

強く、熱い思いを持ったみなさんでした。

「さて、この一本・・・大事にとって置こうか・・・」

いや、ひと思いにいただきます。

きっとまた飲めますよね

2011 年 4 月 29 日 10 時 21 分 01 秒

ふるさと

陸前高田市の避難所に歌手のあんべ光俊さんが来られました。

ギターを手に避難所になっている体育館をぐるりとごらんになり、

「横になっている方がいらっしゃるので」と体育館前の廊下に場所を移し、

即興の小さなコンサートがありました。

童謡『故郷(ふるさと)』が胸に染みました。

姿を変えてしまったふるさとを思ってか、涙する方もいらっしゃいました。

写真は震災の2日後、他の記者が大槌町で取材した映像からとりました。

私のふるさとから消防が救助にやってきていました。

もちろんまだ空港も使えないときです。

ひとり心強く、そして誇りに思いました。

今、沿岸の方々にとっての大切なふるさとが大きな危機にさらされています。

それでも、きょうもふるさとを離れず、避難所の硬く冷たい床に横になろうとする人がいます。

「ここの浜が好きだったんだ」

「ここからよく景色を見たんだ。山と海がきれいに見えてさ~」

取材先で多くの人がこう言って私の知らないふるさとの姿を教えてくれます。

そんなみなさんがふるさとを思う気持ちがいつか復興に再生に結びつくと信じています。

いつかもう一度、世界中の人たちに

あなたの自慢の、ふるさとの光景を見せてください。

『故郷(ふるさと)』より

志をはたして

いつの日にか帰らん 

山は青きふるさと

水は清きふるさと

2011 年 4 月 28 日 09 時 30 分 10 秒

一緒に

€

今回の震災で被害に遭われた方、被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。

3月11日、あの日の震災からはや50日を迎えようとしています。

しかし、きのう大船渡市の仮設住宅に入居した男性は

「やっとぐっすり寝られたよ」

そうおっしゃいました。被災された方はまだそんな状態です。

多くの方が取材に行く我々に笑顔を見せてくださいます。

こんな仕事をしていながら何と言葉をかけていいか?分からないときがあります。

「頑張って」と言われるのが辛い・・・そんな声も聞きます。

先日、小学生の女の子が『サインして』とノートを持ってきてくれました。

サインらしいサインも無いのでいつもただ名前を書き、ひと言添えるのですが、

ペンが止まってしまいました。

「何と書けばいい?」

気付かれないよう、迷って迷って「一緒にがんばっていきましょう」と書きました。

確かに私たちは「仕事」という面があって被災地へ行きます。

しかし「仕事として」の前に同じ人間。

何か出来ることがあれば、その思いは持ち続けたいと思います。

同じ人間として自分のフィールドで自分の出来ることを精一杯するつもりです。

その中で、みなさんの明日がちょっと明るい方向に向く、

テレビを通してそんな仕事が出来たら・・・

2011 年 4 月 27 日 15 時 23 分 09 秒